判断基準

苦手なタイプの人ってあんまりいない、と、言いたいところだけど、実はけっこういたりして。

生活クラブで5年くらい委員をしていたので、たくさんの組合員さんとお話する機会があったのはいいのだけど、中には真顔で、「委員をしなくてもいいよ、と言ってくれれば、もっと加入してくれる人が増えるのに!!」と、言われることがある。

委員をする機会が巡ってくるかもしれない、という可能性があることが、そんな大問題か???と、思う。それよりも世の中、困った問題が山づみではないか?子供の貧困、高齢化、なかなか回復しない景気のこと、いじめや不登校原発の将来、憲法改正増税…あげればキリがない。

それにひきかえ、生活クラブの委員が回ってくるかも!とかいう問題はあまりにも瑣末なこととしか思えない。まさか、そんな瑣末なことを理由に、加入をマジでためらっている人がこの世に存在すること自体が不思議だ。

 

生活クラブに加入をするかしないか、判断する基準はもちろん個人の自由ではあるが、できれば、委員のことではなく、食についての考え方を判断基準にしてほしい。委員の問題などを判断基準にすること自体が本末転倒である。

 

しかし彼らは真剣に主張する。委員が回ってくることが、この世で1番の不幸であるかのように。

いやなら断ればよいではないか。それだけのことである。できれば、少しウイットに富んだ断り方をしてくれるとなお良い。たとえば、「私は著しく協調性がなく、人格も破綻しかけているので」とか、「私は出会う人すべてを不幸に陥れるタイプなので」など(笑)

 

そして私たちは寛容の心を忘れないことだ。つまり、断った人を決して非難してはいけない。彼らは精神的、時間的にゆとりがなく、食の問題などへの興味もなく、さらには社会的な協調性もないのだから。また、新しい人や物事との出会いや経験を自ら拒絶してしまっている、むしろ寂しそうな人々だ。

 

常に未知の世界へ好奇心をもって臨みたいと思う。まあ、心にゆとりがあれば、の話。